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─7─ 息子の思い

Author: 内藤晴人
last update Last Updated: 2025-07-07 20:30:00

 成人し家督を継いでも、僕は父の言葉に従い政に関わろうとはしなかった。

 書物や美術に傾倒し、無名の芸術家達を支援することに無類の喜びを感じる、端から見れば苦労知らずの貴族の馬鹿息子を演じた。

 もう何年も放置されている宮中の書庫奥深くに潜り込んでは、古の大帝の記録を読みあさることに至福を感じる、近寄りがたい変わり者であろうとした。

 そうしているうちに、僕はどれが本当の自分で、何が作り上げた自分なのか、わからなくなっていった。

 もとより書物を読むのは、唯一の楽しみでもあったから、その点は苦ではなかったのだけれど。

 けれど、たまたま書庫で出会った妹姫に、蔑(さげす)むような視線を向けられた時は、心が痛んだ。

 そうこうするうちにも、隣国との戦は続いていた。

 か弱い少女だった皇帝は、意外にも積極的に侵攻を行っているように見える。

 それが宰相が裏から糸を引いているのか定かではない。

 あるいは、他に何か理由があるようにも見えた。

 けれど、僕は生きるために道化を演じる身だ。

 詮索することもできず、ただ無為に公爵が言った『その時』を待つことしかできない自分が情けなかった。

 そんな時だった。

 父の代から仕えている執事が、ある物を僕のもとにもたらした。

 それは、皇帝の署名が入った一通の手配書だった。

「……これは? 」

 首をかしげて見せる僕に、執事は慇懃(いんぎん)に返答する。

「見ての通りにございます。閣下におかれましては、義侠心に捕らわれることなく、万一の時は速やかに……」

「近衛に引き渡せば良いんだね?」

 僕の言葉に、執事は御意、と一礼して、部屋を出ていった。

 こんなご時世に皇帝に反旗を翻すなんて物好きは、一体どんな人物なのだろう。

 かすかな興味を覚えて、僕は手配書を見やる。

 そして、描かれていた人の顔に、既視感を覚えた。

 こちらをじっと見つめてくる、鋭くて強い
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